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【本当?】武田信玄と上杉謙信の「敵に塩を送る」逸話の真相は?

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戦国時代の1569年(永禄11年)、武田信玄と交戦中の上杉謙信が、武田方の領民が今川氏によって塩を絶たれていることを知り、越後の塩を送ったとされ、この話が「敵に塩を送る」という言葉の元となり、争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については敵の弱みにつけこまず、逆に援助を与え、その苦境から救う例えとなっています。しかし、このエピソードは美談に過ぎないという説があります。この逸話の真相を探ってみましょう。

 

【目次】

 

「敵に塩を送る」逸話の真相

1560年(永禄3年)の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれ、今川家の家督が息子の今川氏真が受け継ぐことになりましたが、今川家の衰退が進行していきました。その状況を見た武田信玄は今川家を見限り、当時締結していた武田氏・北条氏・今川氏による「甲相駿三国同盟」を1568年(永禄11年)に破棄し、武田信玄は今川領である駿河を攻め自領としてしまいます。それに怒った今川氏は、北条氏とともに、武田側に塩が入らないようにしました。当時、武田家は自領では塩がとれない為に駿河と相模から塩を買っていました。しかし、今川氏真は塩を武田側には売らないように塩商人たちに指示を出して、塩の流通を止めたことにより、武田家のみならず、甲斐や信濃の民までも苦しめられることになります。塩は人間の生命維持に必要不可欠であり、食料の長期保存にも活用されていた為、武田側にとっては重大問題となりました。これを知った武田信玄のライバルであった上杉謙信は、今川氏真の行いを卑怯とし、武田側に越後の塩を送ったといわれています。これは「敵に塩を送る」という故事の由来にもなっています。

しかし、この話はあくまでも綺麗に作り変えられた逸話である可能性があります。

上杉謙信は軍神とも言われ、武勇で名を馳せた武将で有名ですが、実は商売人としても優れた才覚を持っていたとされています。上杉謙信は領内の各地の湊(みなと)で「船道前(ふなどうまえ)」という関税を徴収したり、越後上布(えちごじょうふ)という上質な麻糸で織った軽くて薄い織物を特産品として販売することで、莫大な財産を築きました。このように、上杉謙信は常にビジネスになりそうなことには敏感になっていたと想定できます。当時、武田側に塩の流通が止められたことを知った上杉謙信は、ビジネスチャンスと捉えたに違いありません。領内の塩商人を武田側に送り、領内の塩を通常よりも高い価格で売ることで、通常よりも高い利益を得たとするのが合点がいきます。

もともと、上杉謙信は義を重んじる人物として有名です。北条氏康は「謙信は一度請け負ったら、骨になっても義理を通す」と高く評価したり、武田信玄も死に際し、後継者の武田勝頼に「いざとなったら謙信を頼れ。」という言葉を残したと伝えられている通り、敵対する有力な武将にまで評価されるほどです。武田信玄は父親を追放したり謀略で相手を陥れたりしましたので、上杉謙信は武田信玄のことを良くは思っていなかったと推定されます。従って、上杉謙信が武田家に塩を送ったとされるのは、単なるビジネスのためであったとする説が有力になっています。

 

松本あめ市

この「敵に塩を送る」逸話に関連される行事が、長野県で行われています。

毎年1月には長野県の松本市において「松本あめ市」が開催されています。日本各地の有名なあめや珍しいあめが並ぶ「全国あめ博覧会・即売会」や、姉妹都市の高山市、九州の物産の販売のほか、上杉軍・武田軍に分かれて綱引きを行う「塩取合戦」、「初春抽選会」「時代行列」「太鼓連等の競演」に加え、歩行者天国内の商店街ではさまざまな催しが行われ、松本の新春の一大イベントとして多くの来街者で賑わいます。「松本あめ市」の起源については諸説ありますが、江戸時代前期から1月11日に市始めの行事があり、その際に市の神様を祭っていた宮村天神(現在:深志神社)の神主が塩を売るようになり、それが「塩市」と呼ばれ、今日の「あめ市」の起源と言われています。また、江戸時代後期からは、戦国時代に上杉謙信が敵将である武田信玄に「義塩」を送ったとされる「謙信の義塩」伝説と結びつけられ、松本の地に「義塩」が届いたと言われる1月11日を記念して開催された「塩市」が「あめ市」の起源とする説も伝えられるようになりました。

 

まとめ

いかがでしたか。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったとする話は美談ではなく、単なるビジネスだったとする説も納得がいきますね。ただ、上杉謙信と武田信玄の良きライバル関係であったとする歴史ロマンを信じたい自分にとっては、この説は受け入れ難い話です。自分は「敵に塩を送る」話を美談であったと信じることにします。